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地下に眠る初代大坂城!大坂城 豊臣石垣公開施設工事! 22年2月の様子

大阪市では豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣を掘り起こし、激動の時代を物語る豊臣石垣の公開事業に取り組んでいます。その中で現在の大阪城天守閣の南東の詰ノ丸石垣を露出公開展示する施設を建設中です。



計画地

計画地は大阪城天守閣の足元にある重要文化財「金蔵」の隣接地となります。

計画概要

出典:大坂城豊臣石垣公開プロジェクト公式サイト

豊臣政権時代の大坂城は徳川にボコボコにされ、地中に埋まった状態となっています。

出典:大坂城豊臣石垣公開プロジェクト公式サイト

本計画はそのボコられた際に地中深く埋められ石垣を常設展示しようというものです。

出典:大坂城豊臣石垣公開プロジェクト公式サイト

公開施設内部は地下階に本物の石垣を見ることのできる石垣展示ホールを整備し、豊臣石垣を解説する地上階のガイダンスルームの二層からなります。

出典:大坂城豊臣石垣公開プロジェクト公式サイト

当初2022年春の開館予定でしたが、将来にわたりより良い状態で石垣を保存するための対策や現場の安全対策の追加が必要となったため、工期が1年延長され2023年春の開館予定となりました。



現地の様子(2022年2月)

南西からの眺め
南西からの眺め
南西からの眺め

手前に写っている蔵のようなものが重要文化財の金蔵です。江戸時代に幕府の金庫として使われたようです。

南からの眺め
南東からの眺め

敷地内の西側では地面を掘削して地中に鉄骨が組まれています。こちらが実際の豊臣石垣を拝見できる展示ホールとなるようです。

北東からの眺め

敷地内の東側は更地となっています。このあたりにガイダンスルームが整備されるかと思われます。

周囲の様子(2022年2月)

南東からの眺め

現在の天守閣は3代目となります。初代が豊臣政権時代。2代目が徳川政権時代。3代目が復興天守として昭和初期に建てられました。ただ1970年の万博にて生きたまま展示される予定だったゴモラという巨大生物により破壊されているので、4代目ではないかという人もいるようです。

南からの眺め

私個人は大阪人でもあり、やはり太閤殿下に対し、かなり思い入れもあり、その太閤殿下築城の石垣を目の当たりできる施設は大変有意義なものだと思います。今自分が立つ足元地中深くにその遺構が眠っていることを想像するだけで興奮してきます。

もちろん昭和の時代から大阪の成長見守っている現在の天守閣も同様に大好きです。新旧の大阪(大坂)城の歴史は、そのまま大阪の歴史でもありますので、それを後世に伝える重要な施設の誕生が楽しみです。



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5件のフィードバック

  1. アセチレンランプ より:

    大阪城はゴモラより前に、アンギラスによって破壊されています(映画「ゴジラの逆襲」)

    • osakanearfuture より:

      コメントありがとうございます。
      あいつ!いつのまに!

      • アセチレンランプ より:

        映画「ゴジラの逆襲」を改めて鑑賞したら、大阪城はゴジラとアンギラスが格闘する中で壊されていました。アンギラス単独犯ではなく、両者の共犯でした。幼稚な特撮とはいえ、天守閣にヒビが入って崩れていく様は見ごてがあります。

  2. さんたん より:

    大阪城は終戦前日の空襲で、櫓4棟と京橋門という門が焼失してしまったので、ぜひとも復元してくれれば大阪城に対する人々の見方が少し変わるのでは?と個人的に思っています。

    • osakanearfuture より:

      コメントありがとうございます。
      空襲の傷跡も至る所にありますから、そちらも後世に伝えるべきですね。

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