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難波宮跡公園を歩いて考えた。大極殿は復元すべきなのか?

難波宮跡公園は飛鳥時代から奈良時代にかけて前後2期に宮殿があったとされる大阪市中央区法円坂にある広さ約9万㎡にも及ぶ史跡公園です。

有名なところでは乙巳の変の後、元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治がこの地でおこなわれました。

難波宮跡?法円坂?聞いてもイマイチどこやねん!と大阪市在住の方でも思われる方はおられるでしょう。最寄駅としては大阪メトロ中央線と谷町線の谷町四丁目駅となります。地上に出てからはすぐなのですが、特に谷町線は列車を降りてから、かなり歩かされる印象です。

その難波宮跡なのですが、当時の大極殿を復元させようという声がたびたび上がります。

主に歴史的な背景から教育委員会や歴史研究家とハード的な観光資源を作りたい方面の方々によるものですが、はたして実現するのでょうか?

大極殿基壇については復元されています。もちろん立ち入り可能ですが、特に何というものではありません。

現在の難波宮跡は至る所に段差や溝があり、バリアフリーとは対局にある公園です。ちなみにトイレも暗く汚く、女性はまず利用しないと思われます。史跡公園ですので、子供向けの遊具があったりすることもなく、ただただ一面草が生い茂り、ところどころに大きな木が点在するだけの整備の行き届いているとは言い難い、放置されている印象の強い公園です。

しかしながら訪れる市民の方は非常に多く、テントを張って寛いだり、サッカーなどの球技に興じたり、ヨガをしている集団も見受けられ、周辺住民の憩いの場としての機能は十分に果たしています。やはり緑地というものは、それだけで十分に人を惹きつけるものがあります。

ここからは完全に個人の好き嫌い、嗜好による感情的な意見ですので、理屈どうこうは無いと思ってください。

私は大極殿の復元に価値をあまり見いだせません。現在復元済みである基壇に正殿を設けても歴史的な価値は当然ありませんし、公園の一画にあったところで本当に観光客を呼び込める新たな資源となるのか疑問です。

奈良の平城京の朱雀門ですら復元されてから現在に至るまで、中途半端感は拭えません。

難波宮跡の周囲には高層マンションも増え、今後も住民が増えると予想される地域です。すでに地元の方々にとって史跡公園というよりも近所のだだっ広い空き地という側面が強いのならば、そこに新たな観光という目的を加え外から人を呼び込むのではなく、都市に少ない緑がある都市公園という社会インフラが備わった地域としての価値を高め、住みたいと思われる要因のひとつとなるような方向性を持って難波宮跡を整備すべきではないでしょうか。

そのためには最低限の環境整備、具体的には先述のバリアフリーであったりトイレの改善などを優先してもらいたいものです。

歴史教育は当然必要です。古代ここ大阪に一時期であれ現代でいう首都のような機能が置かれたというのは、少なくとも大阪在住の人には知らしめるべきだと思います。

また古の方々も自分たちの住んでいた街の一部建物をとりあえず再現した空虚な建造物より、現代の人々がそれぞれの目的を持って集い、憩う場であったほうが喜ばれるのではないかと勝手に想像してしまいました。

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1件の返信

  1. 2021年6月12日

    […] 難波宮跡公園にも整備構想がありますが、遅々として進んでいませんし、この雰囲気が無くしてしまってまで、すべきことなのかは疑問に思います。 […]

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